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抗がん剤の果てで、戦友が教えてくれた生きる意味 ― 命の意味を問い直した日々 ―

人は、どこまで壊れたら「生きている」と言えるのだろう。
抗がん剤は、がんだけでなく、私の“人としての輪郭”も奪っていった。
それでも――私は、この地獄の中で「生きる理由」に出会った。

術後、私のがんは子宮を越え、腹部でも確認された。
告げられたステージは「3b」。
その瞬間、私の人生は「抗がん剤治療」という新たな戦場へと移行した。

この期間こそが、私にとって本当の「闘病生活」だった。
そしてここで出会った人たちは、ただの患者ではない。
命をかけて共に戦った、“戦友”だった。


目次

|歩くことすら任務だった日々

手術後、最初に与えられた任務は「トイレまで歩くこと」だった。

病棟の中央にあるトイレまでは、たった30秒。
けれど、臓器を摘出したばかりの身体には、それは“果てしない距離”だった。

激痛と冷や汗の中、ベッドから起き上がるだけで長い時間がかかる。
看護師に支えられながら、30分かけてようやくたどり着いた。

――それでも私は、トイレの周りを一周して戻った。

「歩ける人は歩く」
それが、生きるための最低条件だったから。


|抗がん剤という“見えない暴力”

抗がん剤は、2本だけだった。

だが、その2本が、私の身体を完全に破壊した。

投与から30分。
吐き気が襲い、夜には完全に動けなくなった。

食事はできない。
立つこともできない。
トイレにも行けない。

ただ、天井を見つめて、目を開けたまま時間が過ぎるのを待つだけ。

「生きている」というより、
“ただ存在しているだけ”だった。


|髪が抜けた夜、私は「患者」になった

退院後、1週間。

朝、枕に落ちた髪の量が違った。
そして夜――すべてが終わった。

シャワーの中で、髪は一気に抜け落ち、
気づけば床は自分の髪で埋め尽くされていた。

私はそれを洗面器に集め、母に手渡した。

すでにがんサバイバーだった母は、静かに言った。

「あら、すごいわね」

その言葉とともに、残った髪を手で落とす。

その瞬間、私は悟った。
――私は「がん患者」になったのだと。


|戦友たちとの出会い】

病棟には、さまざまながん患者がいた。

年齢も、ステージも、未来も違う。
それでも、私たちは同じ場所で、同じ恐怖と戦っていた。

私は最年少だった。

人は、極限状態になると、無意識に他人と自分を比べる。

「私は子供がいるから死ねない」
「あなたはまだ若い」

それは残酷にも見える。
でも私は、それを“人間らしさ”だと教えられた。


|想像を超えた2回目の抗がん剤

2回目の治療は、地獄だった。

嘔吐はさらに激しくなり、
わずか1週間で体重は7キロ落ちた。

身体は崩れ、意識すら曖昧になる。

そんな中、ある患者が家族に頼み、
私のためにアイスクリームを買ってきてくれた。

別の患者は、退院後にもかかわらず、
わざわざ病棟まで届けに来てくれた。

彼女たちの方が、ずっと重症だった。
骨と皮だけの身体で、命を削りながら歩いていた。

――それが、彼女たちの「最後の歩行」だったのかもしれない。


|遺影が教えてくれた“本当の姿”

彼女たちの通夜や葬儀に出るたび、私は衝撃を受けた。

遺影の中の彼女たちは、
髪があり、化粧をして、笑っていた。

美しかった。

病棟で出会った姿とは、まるで別人だった。

そのたびに私は思った。

「本来の姿を奪ったのは、がんだ」

怒りと悔しさで、何度も崩れ落ちた。


|死が教えてくれたこと

けれど、あるとき気づいた。

彼女たちの最期の顔には、
怒りも、悲しみもなかった。

穏やかだった。

そして私は理解した。

彼女たちは、最後まで“生ききった”のだと。


|私は「最後の伝達師」になると決めた

私は、生き残った。

だからこそ、役割があると思った。

彼女たちが何を感じ、
どんな思いで生きていたのか。

それを伝えること。

私は、「戦友」の一人として、
“最後の伝達師”になることを選んだ。


|約30人の戦友を見送って

私は、約30人の戦友を見送った。

そのたびに、心は止まり、
何度も立ち尽くした。

慣れることは、一度もなかった。

それでも今、私は思う。

別れの悲しみよりも、
出会えたことの奇跡の方が、大きかったと。


|桜の季節に思い出すこと

「来年も桜、見られるかな」

その言葉が、今も胸に残っている。

桜の季節になると、私は彼女たちを思い出す。

誰よりも強く、
誰よりも美しく、生きようとしていた姿を。


|Quality of Lifeという哲学(まとめ)

この章で私が学んだ、Quality of Lifeの本質は3つある。

1. 生きるとは、「できること」ではなく「感じること」
歩けるかではない。食べられるかでもない。
それでも「何かを感じる」ことが、生きている証だった。

2. 人は、他者との関係の中で生きている
戦友たちとの出会いが、私を支えた。
孤独の中では、人は生ききれない。

3. 人生の価値は「長さ」ではなく「深さ」
彼女たちは短くても、深く生きた。
だからこそ、今も私の中で生き続けている。


生き延びた。
けれど、それは終わりではなかった。

本当の問いは、ここからだった。
――もう一度、生き直せるのか。

Chapter 7へ続く。

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この記事を書いた人

KANNA UEHARA
Quality of Life
Tokyo

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