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ガン告知は、私にとっても想定外の出来事だった

ガン告知は、私にとっても想定外の出来事だった。

当時、25歳だった私は、
「結婚して子どもを産む」という人生を、特別なこととは思っていなかった。

いつか自然にそういう日が来る。
漠然と、そう思っていた


私はもともと生理不順で、
月に一度の排卵も疑わしい状態だった。

さすがに30歳を目前にして、
やっと重い腰を上げ、婦人科に通うことにした。

漢方やホルモン剤を試してみたものの、数ヶ月経っても変化はなかった。
最終的に、排卵誘発剤を打つことになった。


|突然の大量出血

数週間後、友人たちと飲みに行き、
いつものように楽しい時間を過ごしていた

そのとき、突然、今まで経験したことのない腹痛を感じた。

私は友人に一言伝え、トイレに向かった。

そして、そこで
自分の目を疑うような出来事が起きた。

大量の出血だった。

まるでドラマで見る、流産の場面のようだった。
実際には、私は多量出血で意識を失いかけていた。

床は、すでに血の海だった。

それでも私は、不思議なほど冷静だった。

もし誰かがここに来たら、
この状況をどう思うだろう。

そんなことを考えながら、
ふらつく身体で床の血を拭き取り始めていた。


|救急搬送と緊急手術

私の戻りが遅いことを心配した友人が、
トイレに飛び込んできた。

「どうした?何かあった?」

私は、簡単に状況を説明し、最後に一言だけ言った。

「救急車を呼んで」

長年の友人だった彼女は、
それが緊急事態であることをすぐに理解した。

「わかった。そのまま待っていて」

そう言って、外へ飛び出していった。


しばらくして、
遠くから救急車のサイレンが聞こえてきた。

友人と救急隊員がトイレに飛び込んできた光景は、
今でもはっきり覚えている。

私は、婦人科治療で通っていた大学病院に搬送された。

その日は簡易検査だけ行われ、
巨大な産後パッドと止血剤を渡されて帰宅することになった。


しかし、出血は止まらなかった。

数日後、友人の車で再び病院へ行き、
緊急手術を受けることになった。

子宮の中で異常に膨らんだ内膜を取り除く、
比較的簡易的な手術だった。


|病院での診察

それから約10日後、
経過を見るために再び病院を訪れた。

出血も落ち着いていたので、
消毒をしてすぐ帰れるだろうと思っていた。

だが、その日はなぜか
予約時間になっても私の名前が呼ばれなかった。

正午を過ぎ、
疲れ果てて失神しそうになった頃、
やっと私の名前が呼ばれた。


診察室で、主治医は
子宮や卵巣などの図を使いながら丁寧に説明してくれていた。

私はしばらく、
出血の原因について説明されているのだと思っていた。

|「ガン」という言葉

しかし、話の中に
ある言葉が何度も出てきていることに気づいた。

「ガン」

その言葉が、
私の中で明確になった瞬間、私は尋ねた。

「私は……ガンなのですか?」

主治医は、静かに答えた。

「そうです」

私はもう一度、同じ質問をした。

「私は、ガンなのですか?」

主治医は、また同じように答えた。

「そうです」

しばらく沈黙が続いた。

そして私は、三度目の質問をした。

その時、ようやく
自分の状況を理解した。

私はその場で、泣き崩れた。


言いようのない絶望感。

「なぜ私が」という激しい怒り。

そして、死への恐怖。

その瞬間、
人生のすべてを失ったような気がした。

それが、
私のガン告知の瞬間だった。


主治医はその後、別の手術が予定されていた。

「手術が終わった後、
ご両親にも来てもらって、今後の治療方針を説明しましょう」

そう言って、診察室を出ていった。


|両親への告知

ガン告知を受けたということは、
私自身が、家族や友人に
「ガン告知」をしなければならないということでもあった。

当時、私は実家を出て
渋谷区で一人暮らしをしていた。

両親に連絡するのも、数ヶ月ぶりだった。

それが突然、
娘からの連絡が「ガン告知」になる。

もし臓器を摘出することになれば、
私は出産できなくなるかもしれない。

それは同時に、
両親が孫を抱く機会を失うことでもあった。

そして最悪の場合、
私は両親より先に死ぬかもしれない。


私の哲学の中で、
最も親不孝なことは

「親より先に逝くこと」

だった。

だから私は、
なかなか電話をかけることができなかった。


母は電話に出た瞬間、言った。

「どうしたの?」

母の直感は、昔から鋭かった。

私はただ、涙を拭きながら
何度も「ごめんね」と言うことしかできなかった。

「謝ってばかりじゃ、何があったかわからない」

そのやり取りを何度か繰り返した後、
私はやっと言葉を絞り出した。

「ガンだって」

電話の向こうで、
しばらく沈黙が続いた。

そして母は言った。

「今から病院に行く」


久しぶりに再会した母は、
サングラスをかけていた。

しかしその下で、
とめどなく涙が溢れているのがわかった。


その日の夜、
母は私の家に泊まった。

お互い食事は喉を通らず、
ただ横になった。

ほとんど眠れなかったと思う。


|絶望の中で見つけたQuality of Life

それでも、私は知っている。

どんなに眠れない日が続いても、
いつか眠れる日が来る。

どんなに食欲がなくても、
いつかお腹は空いてくる。

絶望的なときは、
無理に何かをしなくてもいい。

ただ、時間の流れに身を任せる。

時間に身を委ねるその静かな瞬間こそが、
私の Quality of Life の探求の始まりだったのかもしれない。

このガン告知から、
私の人生は大きく変わりました。

次の記事では、
緊急手術と闘病生活について書きたいと思います。

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